『卒業式』習作

 


 友人のままでいようと決心したのは卒業式前日。

 普通はこういう時に今までの想いを込めて伝えたりするようなこと。卒業という別れに乗じて、もう会えなくなっても仕方ない、卒業するのだからと一斉に、想いが華々しく開いて落花を待つ。その覚悟の空気には気恥ずかしく居心地の悪い気分がするものの、中学の時は自分はそれどころじゃなかった。もう俺は何もかも失った、これ以上失うものはないとあの頃は思っていた。

 それが三年間過ぎてみれば、全く真逆に自転車と大事な相棒を得てここに立っている。あの日の自分に教えてやりたい。しかも、その相棒を手放せないほど好きになるなんて、
「やっぱ、教えたくねーわ」と、つま先に見えた石を蹴った。
 何となく石の行く先を見送ったら、そこに向かい合って立つ男女が見えた。男子は胸に赤い花を、女子は付けていない。後輩だろう。定番の告白シーン。こんなことがそこら中で起こっている。
 俺は、好きになったとはいえ、大事過ぎてどうにもできない。別れは嫌だ。このまま友人として過ごしても、何の過不足もない。ちょうどいい関係でこのままずうっと、爺さんになっても、あの夏は暑かったなとお互いに語れるように、永遠に一緒にいたい。

 だから言わないんだ。好きという感情に伴う衝動的な性欲は、十年や二十年経てば収まるだろう。今でも十分に俺は、あいつの一番なんだ。お互いにそう納得している。だからいつだって笑っていれば良い。その方が、いつまでもそばにいられるんだ。


 決心したはずなのに急激にひとりぼっちになった気がした。多分このままではまともに結婚もできない。早くも独身の老後が決まってしまった上に、沸々と湧いてくる欲しいというわがままが、小さな手をいくつも伸ばして口から飛び出そうとする。好きですと言う覚悟を決めた横顔をいくつか見たものだから、それに触発されてか、普段よりも何か言ってしまいそうなドキドキが収まらない。
 バカ、言ったら終わるだろうが。雰囲気に飲まれてんじゃねえよ。

 空を見上げてそういえば、あの時も空を見て落ち着けた。風や雲はいつだってそこに悠久に流れている。それに比べて俺の欲しいなんて衝動は、なんと浅はかでちっぽけなものか。夜空を見上げるとどこまでも星が続く宇宙なんだ。地上のたった一名の人生なんか、大したことじゃない。
 そうだ。だから今、頭を戻してその先に、こちらに向かってくる青八木を見たって、いつものことだ。今日はたまたま卒業式なだけ。青八木と俺の関係には、変わりはない。

「よぉ!」
 声を掛けたら軽く頷いて、歩を早めるわけでもなくだんだん近付いてくる。軽そうなカバンを肩にかけて、いつもどおりの姿。でも、この制服姿も学校カバンも見納めなんだなと思うと、じっくりと頭から爪先まで眺めた。
 相変わらずの長さを保った金髪は、歩みとともに揺れてきれいだ。突然ブリーチしたいと言い出したから、なんでと思ったら、スプリンターは派手な方が良いと思ったと。鳴子の言うことが気に入ったらしかった。最初だから美容院行ったほうがいいぞって紹介した。
 初日はちょっと恥ずかしそうにしてたっけな。思わず顔が緩む。こそっと言ってきたっけ。
『すごく見られてる……』
『そりゃそうだろ、昨日までと違うんだから。かっこいいぜ?』
 注目されるのを恥ずかしがるから、二、三日すりゃ皆慣れるからちょっとの我慢だと言っておいて内心は嫉妬もあった。対象は周りの奴ら。見んじゃねえよ困ってんだろーがと思った、確か。
 きれいなんだよその色は。髪と相まってジャージの総北イエローを更に輝かせる。良い選択だと思ったよ。

「純太、まだ帰らないのか」
「あー別に用事はないけど。青八木は帰る?」
「ああ、挨拶は済ませた」
 先生とかだろうな。部活の送別会も済んでいるし、さっきマネージャーから花も貰った。そういえば花を持ってないな。
「お前、これは? もらってない?」
「いや、あげてきた」
「えっ誰に?」
「知らないやつだ」
「は? なんで?」
 帰るか帰らないかの話をしてたから、長くなりそうな話だし歩きながら聞こうと思って校門を示した。青八木もすぐに分かって頷く。

 今日は風が冷たいし強い。卒業式ってもっと暖かいイメージだったけど、入試前になっていて全然寒かった。そうだ、桜って入学式だったもんな。思い出す、初めて青八木を見た瞬間。ちょうどこの辺だ。
「なあ、ここ」
「ん?」
「入学初日、お前と会ったとこがここ」
「ああ、覚えてる」
 よかった。覚えてるんだ。目が合った気はしたんだよ。
「桜が咲いてたよなあ」
「あの日ちょっと暑かった」
「汗かいてたっけな」
「もう大分慣れたが、卒業した」
「なあー、はええなあ。で、花は?」
「うん、告白してきた女子がいて」
 ああーと納得した。
「付き合うんだ?」
「いや、断った」
 あれ?
「だから代わりに花を渡した」
「それ、嬉しいかなあ?」
「何かできることも他になかったから」
 精一杯誠実であろうとしたんだろう。相手次第ってとこか。告白が叶うと思い込んでいたとしたら屈辱だし、最後に言っておきたかったんだとしたら記念に彩りを添える花になるだろう。
 なんてこった。身勝手に対しては罰になり、切実さには応えるものになる。即応性の高さに改めて感心した。

 ぶらぶらと歩きながら、卒業らしい話を聞きつつも俺は、青八木ってほんと青八木だと再確認していた。
「すげーな」
「ん?」
「うん、お前すげえ」
「そうか?」
 そうなんだよ。今日という日に託してくる奴なんて、本気じゃねえんだよ。最後の最後に好きでしたなんて、あわよくばという宣言だし、在学中に振られて気まずさと共に過ごせない程度の弱気じゃあ告白の本気度は低いんだ。
 自分が前日まで迷っていたことが、今更恥ずかしくなった。いつだって俺は、あわよくばと期待をしているわけで、やっぱりこいつに言うのは止めとこうって再度思った。

 青八木はいつだってそうだ。やること為すことに俺は影響される。本人にその自覚がなくても、俺はいつも驚かされて爽快だ。そこに通っている筋がまっすぐで嫌みがなくて、謙虚な上に正しい。そして不実には罰が返る厳しさ。
 ああ、こんなすげえ奴が相棒で嬉しいわ。誰にも誇れる。自慢したい。こいつすげえんだって。

「純太は?」
「え?」
「誰かには言われただろう」
「ああ、あったけど……ってそれ言われてなかったらきついな」
 当然のように訊かれたから、つい笑った。
「言われてないはずがない」
「いや、言い過ぎ」
「付き合わないのか?」
「だな。興味ないっていうか、彼女は別にいらねーかな」
「うん」
 同じだと言わんばかりに頷いた。
 彼氏は欲しいんだけどね。



叶わないことに期待はしない。獲得したいものは人じゃない。一番という栄誉すら形じゃなかったしなあ。その感触が欲しいだけで、今は見つめれば見つめ返してくれる確かさが既にある。これ以上なんてあるか? だから秘密。



「変な頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」
「改まってんな」
「ああ、変だと思うから」
「気にすんなよ」
「手を繋いでもいいか?」
「は?」
「今」
「え、なんで?」
「やっぱり変だからいい」
「え、いいの?」
「恥ずかしいだろ?」
「いや、よくわかんねーけど、なんで?」
「何となくだ」
「ああそう」
 言葉にできない何かが手を繋ぎたいという行動を起こそうとしている。青八木のそれはなんだろうな。ちょっと期待をしたけど、わからないまま繋いでも良いんじゃないかと、隣の手を取った。
「いいのか」
「いいよ、面白い」
 手を繋ぐ。卒業していく男たちの勇姿じゃねえな。幼稚園の帰り道だ。こんな馬鹿な感じができるのも今日までなのかなあ。大学も似たようなもんだと思うんだけど。
 四年後にはどうなってんだろうな。少なくとも俺は三年前とは全く違うわけだから、これからも変化は続いていくんだ。もしかしたら青八木のことを好きじゃなくなってるかもしれない。それはそれで変化だと思いつつ、今、というものがとても貴重な時間だと思えてきた。
 口を結んで考える。
 今じゃなきゃ駄目なわけじゃない。しかし消えていく感情は伝えなくていいことなんだろうか。それは身勝手だと分かってる。ただ青八木を困らせるだけじゃないのかと。決して罰が怖いわけじゃないが、一生離れたくないなんていう気持ちで言わない選択をしてる己は、果たして誠実かどうか。
 何となくで分からないのに、手を繋ぎたいと頼んできたこれは、俺を信頼してるからじゃないか。自然に任せて俺には伝えられるぐらい預けてくれているのに、俺は欲張りが過ぎて隠し事。それこそ罰を受けるべき罪じゃないか?




「あの」
「ん」
「……なんかさ」
「うん」
「いや、ちょっと待って」
「うん」
 やっぱり怖い。でも怖いだけだ。預けてくれているこの手に対して応えるなら、俺は正直になるしかない。むしろ今、手を繋いでいること自体が、俺にとって罰になっている。
「は……、あの、頼みごとっていうか」
「ああ」
「俺のこと好きになってくんねえ?」
「あ…、え?」
「あーーもう、こういうのって難しいな」
 動揺の行く先がなくて、繋いでる手を大きく揺らした。急に何をどうしていいやら分からなくなった。好きになってくれっておかしいとは思うが、頼みごとでしかないんだよ。好きだと伝える誠実さより先の、信頼を揺るがすぐらいのわがままでないと通らないと思ったんだ。なぜって、そう、裏切りだから。
「わりーな、俺、もう頼むしかねえんだ。できないならそれでいい。でもできるなら──」

 結局そうなんだ。好きと伝えることは、ある意味では頼みごとなんだよ。
 もしよかったら付き合ってくださいなんて、選べと差し出しているそれは、自分のことを好きになってくれませんかと。そう、図々しいことなんだ。

「好きになってくれないか?」
「純太は俺のこと好きなのか」
「そういうこと」
「それは、告白と同じだと思って構わないのか?」
「そう、告白なんだ。卒業の日になんて言いたかないんだけど」
「なんでだ?」
「悔しいじゃねえかよ、そいつらと一緒で」
 フッと吹き出して青八木が笑った。
 何だか自分が情けなくなってきた。もっと思い切り笑い飛ばしてくれていい。
「純太は、すごい」
「なんだよ」
「なんで手を繋いでくれたんだ?」
「お前がそうしたいってんなら、手ぐらい繋ぐわ」
 妙にいじけた口振りになってしまう。自分に呆れていて、もう無かったことにしたい気分でいっぱいだ。
「俺もはっきりとはわからないんだが、それでもいいか?」
「なにが」
「好きってこと」














 

20171128