「あー! ……さすがに疲れた」 「最後230ぐらいだったか」 「出たっけ?」 ほんの少し遠出。40キロ先。俺たちにとってはそんなに無茶な距離じゃない。事実、小野田なんかは学校から秋葉原までママチャリで行ける。全然大した距離でもないし急ぎでもないから消耗も少ない、なのに純太が疲れているのはディズニーシーではしゃぎすぎたからだ。 ある程度、俺も知ってはいるつもりだったが、チケットの制度がよく分からなくて純太に任せていたら、これが早く乗れるチケットでこの順番に回れば効率が良いと綿密にスケジュールを立てていて、一日中フルでライドやパレードやらを体験することになった。 純太は旅行の予定を立てさせると隙間なく埋めてしまう。興味や好奇心からポイントを辿っていく、その間はアベレージを30で設定しているので大変なことになる。短距離だから無理ではないが、せかせかして旅行という空気ではない……。一度懲りたので移動時間を気にせずに、一箇所をメインで遊ぼうと近くの遊園地を提案した。 そうしたら下調べもパーク内のシステムを軽くさらうだけで、気軽に出発できた。途中でどうしても速度が上がるのは道路上だからだが、どうも速さを目指してしまう癖がついているので開園前に一休みすることができた。 そして入場してからは、純太がウェアの胸ポケットから取り出した一枚のコピー用紙、スケジュールが書き込まれた大まかな地図を手に駆けずり回ることになった。なにせパスを取っては並び取っては並びで、時間短縮はされているものの行き来が激しくて、一体俺は何をしているのかどこに向かっているのかさっぱり分からないで付いて行くだけになった。 それでも、全力で楽しもうとしている純太があちこちに俺の手を引いて駆けるのが少し頼もしく、アトラクションも映像を用いて進化した、俺のいわゆる遊園地のイメージを超えていて楽しかった。 心からの笑顔やら走って列についた時の溜め息やら、ライドで驚いた時の大声、食事中のふざけ半分な皿の中身の取り合いなど、存分に純太も楽しんでいたことが嬉しかった。 その帰り、当然疲れている。速度を気にせずにだらだらと走って、惰性でペダルを回す。自分もかなり体力がなくなってることが分かったが、前を走る純太の背中が明らかに疲れでだらっとした姿勢を取っているのを見ていると、それがなんだか面白くて疲れは苦でもなかった。 最後数分だけ速度を上げてもメーターは250Wまで行かなかった。出力数までが正確に純太の疲れを数値で表していた。 「シャワーだけ浴びてぇー……」 「そのまま入れ、タオル用意する」 悪いと言い残して扉の向こうへ消える。高校生活もあと少し。実際はもう通学しなくてよくなっているので卒業旅行のシーズンだ。真冬の海辺で強風を浴びた。走って帰ってきたと言ってもやっぱり体は冷えている。鼻の調子で風邪を引きそうだと感じたので、すぐにリビングのファンヒーターをつけて、タオルと父の厚手のスウェットを出してきて洗面所に置いた。 「冷えてるなら暖まるまで浴びててもいいけど」 声をかけると、風呂場のガラスの向こうから「だいじょーぶ」と返ってきた。 母がいるかと思ったんだが、買い物に出てるんだろう。昼頃から出かけて夕食前に帰ってくることも珍しくはない。家にいるようになって、平日の母の行動が新鮮で色々話を聞くことが多くなった。だから何となく分かる。 今日は純太が来ることも伝えてあって、夕食は外で済ませるとも言ってあった。だから父が帰ってくる時間まで、帰宅時間の幅が取られてるんだろう。そんなに遅くはならない。なっても21時までには二人とも帰ってくる。すっかり純太が来ることに慣れてるし、俺が適当にもてなすから両親とも来客に気を遣わなくなって、顔を合わせたら軽く挨拶を交わす程度。 「ごめんな、いつも親父さんの借りてる」 風呂から出てきてリビングまで来た純太が苦笑してる。 「いつもなんだから気にするな」 ファンヒーターの前で縮こまっていたから、寒かったかと訊かれた。少し、と返した。 「湯を張って温まってきてもいいか?」 「おう、風邪引いちゃまずい」 「純太も冷えたら駄目だから……」と周りを見ると、適当な上着が見つからなかったのでソファに乗っていた毛布を渡した。受け取って広げ、何となく羽織っている。 湯張りのスイッチを押して栓の確認をしにいった。床の水滴がちょっと裸足に冷たい。 リビングに戻るとうずくまってヒーターの前を占拠している。その後ろ姿が可笑しくて、後ろからつま先で軽くつついた。 「お前、裸足じゃん」 「風呂場に行ったから」 「スリッパぐらいはけよ」 純太は俺が出したモコモコの室内用の靴下を履いてる。用意する服は大抵寝るためのスウェットやらパジャマやらだが、俺は下着までは出してない。以前どうしてるのか訊いたら、軽く謝りながら着てないと言った。借りたのはどうせすぐに洗濯すると思ってたし、着てたのは大抵汗でぐちゃぐちゃになってるからと。 それも仕方ない。急に泊まることになったりして、いちいちコンビニで買ってたら余計な出費になるし、普段だってレーパンの下に履かないこともあるから。 代わりに何か提供できるものも、さすがに無いし……。 「冷えたんだろ、ここ入れば?」 純太が毛布の端を持って広げた。隣に並んで一緒に包まる。前にはファンヒーター。毛布の中に温風を吹き込んで、かなり暖かい。 「やべえ、寝そう……」 「俺が風呂入ってる間にベッド使ってもいい」 言いながらさっき下着のことを思い出したから、後ろから腕を回して腰の隙間に手を突っ込んだ。 「つめてえな!」 「純太は大丈夫そう」ちょっと鼻がムズムズしてきた。 「ほんと冷えてんじゃん、大丈夫か?」 一回すすって鳴らす。 「多分、暖まれば大丈夫」 純太が俺の足に手を当てた。すごく暖かかった。くっついて一つの毛布に包まって、前方からは熱いほどの風、昼の喧騒から今静けさが眠気を誘う。 「ねむい……」 「寝るな、死ぬぞ」 冗談めかして純太が足の甲を撫でながら言った。気持ち良い。暖かいし。 風邪で死ぬようなことはない。いや、あるかも。いや俺は死ぬことにはならない。 眠気が勝ちそうになった時に、湯がいっぱいになったとアナウンスが鳴る。 「温まってこいよ」 「ああ……、寝そう」 「寝るな死ぬぞ」 再度言って笑ってた。 湯船でもたれていたら一瞬眠ってたようだ。 湯気でくもる暖かい空間で大分体温も上がって、風邪の気配もどこかへいった。このままゆっくり休めばきっと何ともない。 純太の様子からも、おそらくもうベッドに入ってるだろう。ファンヒーターはつけっぱなしかもしれない。俺がいるから多分暖かいままにしていっただろう。 上がってぼんやりと髪を乾かしながら、インナーを二枚、パジャマを着て裸足のままリビングに行ったら母が帰っていた。 「おかえり」 「あら、おかえり。また裸足で」 いつも指摘される。 「純太に会った?」 「見てないけど、あなた達お腹すいてないの? 大丈夫?」 頷いて、もう寝ることにしてると言ったら、疲れたんでしょうからそうしなさいと、部屋に追いやられることになった。 ペタペタと、廊下を歩くこれが好きだ。履かないで良いなら裸足の方が良い。特別に理由はないけど、あるとしたらこれだ。ペタペタと直接感じる感触が。 部屋に入ったら灯りは点いたまま、純太はベッドに潜り込んで背中を向けている。シングルの一つ大きいサイズなのは、男の子ならその方が長く使えるからって幼い頃から同じベッド。それが幸いしてギリギリ二人で眠れる。 戸口のスイッチで照明を段階落として、一番小さい灯りにした。そのパチパチという音で純太が身じろぎした。 「……風邪は?」 「大丈夫、寝る」 背中を向けたままの隣に潜り込む。あんまりもう考えられない。今日、昼間が華やかで楽しかったという感触だけ残って目を閉じた。 純太が寝返りをうって布団を口元まで被せてきた。そのまま腕は俺に乗ったまま、すうっと寝息に近い溜め息をつく。 「起こした、ごめん……」 小声で呟くと頭を寄せてきた。 「はだし」 純太も裸足になっていた。その足裏でつま先を包んでくれる。 「つめたい」 「ごめん」 「楽しかったな……」 「また行こう」 「別?」 「同じでも良い」 「ああいうの好き?」 「悪くない」 「他は?」 「他でも良い」 「そ……」 途切れたと思ったら自分もそこで寝入ってしまったようだ。 どんな夢を見るだろう。 疲れすぎたから見ないかも。 夢って記憶整理だって言ってた。 俺の夢には、よく純太がいる。 いつも通り笑ってて楽しそうで。 怖い夢になることがない。 純太が夢の中で護ってくれてるみたいに。 でもそれは記憶整理。 俺は純太に護られてると感じてるのか。 たまに腕を前に真っ直ぐ出して何か先の方を指し示す。 それでなぜか純太は、ドラクロワの自由の女神になって旗を掲げる誘導者に被る。 俺を振り返って進む顔は純太に戻る。 純太はどんな夢を見るんだろう。 いつも起きてから訊こうとしては忘れている。 |