「常々、俺は不思議なんだが」 「なんです?」 一人暮らしにしては広めのリビングで、壁際の椅子に腰掛けた古泉は、文庫本から顔を上げずに返事した。 傍の小さなテーブルに置かれたコーヒーは、口をつけた気配もないままもう湯気を立てていない。それほど本に熱中してたということだ。だが、問いかけへの返事は速かった。没頭はポーズだろうか。 対する俺はリビングの中央でソファの下に凭れて、立てた片膝を支えに漫画雑誌をパラパラとめくっている。二度読み終えて退屈になって、言いたいことを思い出した。 「お前、この部屋では近寄ってこないな」 「は?」 軽く驚いた様子で古泉がこちらを見た。 学校やSOS団の活動中は、鬱陶しいぐらいに側によっては耳元でささやいてくる。何だか気持ち悪いのと、人目が気になるのとで、いちいち遠ざける必要があるのだが、この部屋ではそんなことはない。気持ち悪いと感じるような行動が、この部屋ではほとんどない。 「なんで外ではあんなに寄ってくるんだ?」 「それは、人に聞かれると不味い話だからですよ。僕らがする話には、ちょっと他人には変だと思われる内容が多いでしょう? 宇宙人・未来人・超能力者……、どれ一つまともではありませんから」 いつもの笑顔でさらりと即答される。 つまりここでは、他人に聞かれることはないから、近寄る必要がないということか。 「まあそうですが」 言いながら古泉は途中で笑いを堪えられなかったらしい。口元を、本を持たない方の手で覆い、クスクス笑っている。笑われているのは気分が悪い。 「なんだ?」 「いえ、あなたが可愛らしいことを言うので、つい。失礼しました」 可愛らしい!? 「だって、そうでしょう。なんで近寄ってくれないんだって言われてるみたいです」 途端に顔が熱くなった。そんなニュアンスのことを言ったつもりはない。俺は慌てて叫んだ。 「ち、違う!」 「そうなんですか?」 「そうだ、この部屋にいるといつもとは違うから、調子が狂うんだ。それだけだ」 「つまりいつも通りにしてほしいんですか?」 だからそういうことじゃない。純粋に疑問だっただけで、わざわざそうする必要はない。 誤解を解くために色々並べている間に、古泉は椅子から立ち上がりにこやかに近付いてきて、俺の隣に肩を並べた。 「これでいいですか?」 「だから……」 古泉の部屋に来るようになったのは、ゲームの話のついでに寄って以降で、元々は大した理由があったわけではない。ハルヒのことについてなどの深刻な訳もなく、ごく気軽に友人の家に遊びに行くのと同じで、それが一人暮らしなものだから開放的で心地良い。しかも広い。 最初はこいつがどんな風に暮らしているのか興味もあって来たものの、それは期待通りのきれいな生活で面白味もなく、好奇心もそれほど満たされなかったのだが、まだ何か古泉の意外な面が見られるような気がしてよく部屋に寄るようになった。 それで気になったのが、この一点だけだった。なぜ、いつもとは違うのかと。 「これでいつも通りですよ?」 「寄るな」 「あなたがそう仰るので、ここでは従ってるんです。内緒話の必要もありませんし」 「従うって……」 「あなたが嫌がると思いましたので」 言いながら古泉は、いつも以上にニヤニヤと笑って顔を覗き込んでくる。 か、顔が近い。 確かに二人っきりの時に近寄られると、嫌って言うより恐ろしい。だが、その配慮について“従う”などという形容はして欲しくない。俺は断じて、命令などしていない。 「俺に従う必要はないし、変なポーズもしなくていい。自然にしてくれ」 「ポーズ、ですか?」 「外であんな風にわざとらしく近寄って、いかにもな内緒話をする事こそポーズだろう。普通に話していれば誰も興味や関心を持ちはしない。俺からしてみれば、内緒話のポーズこそ必要がない」 「おや、確かにそうですね。さすがです」 面倒なほどに覗き込んでいた顔が離れて、降参とばかりに両手をあげている。こいつはいちいち大げさなんだ。何もかも芝居がかっている。 「いつものあれはですね、実は僕のささやかな反抗です」 「反抗? どういうことだ」 「いつか話した通り、僕は本来の僕ではありません。ですからあなたも興味を持っておいでで、ここに来るのでしょう?」 バレてる。 「てっきり涼宮さんの話をしに来るんだと思っていたら、どうやらそうでもないようですし」 お前らはよく知ってるんだろうし、いつもいつもハルヒの話ばかりじゃなんだろう。 で、何を説明してくれるんだ? 「我々の行動は制限されています。ですから僕は、ギリギリの安全圏内でやりたいことをやらせてもらっているのです」 「内緒話のポーズが、か?」 「ええ、ああしていればいつかは興味を持った人物が現れて、聞き耳を立てるかもしれません。でも大抵はそれだけです。意味不明の話を聞いたところで、興味を失うのが大半でしょう」 「そうやって興味を引かせて何が楽しいんだ? とことん興味を持って絡んでくる奴だって出るかもしれないだろう」 「だからギリギリなんです。もしかしたら深入りしてくる人もいるかもしれない。そのイレギュラーなところが楽しいんです。でも、ただゲームの話をしていただけだ、とでも言えば追い払えます」 「そんな簡単にいくか?」 「簡単ですよ。誰しも他人に関しては案外単純なものです」 「で、そうやっていつか現れる他人をからかって楽しんでるのか」 「まあ、そういうことになります」 思うより意地が悪い。こいつは妙なところでしつこいし冷たい。そういう部分がある。それが本来の古泉かと思うと気が滅入るし少し気味が悪いが、斜め前でいつのまにか正座しているこいつを見る限りは、そうではないと思う。 この言い訳はおそらくポーズの一種だ。 しかし俺はなぜか、この正座までポーズだとは考えられなかった。これは無意識のものだ。気障な言い回しや芝居染みた素振り。そのどれもがいかにも古泉らしいのだが、俺の前で正座して熱弁している様子はらしくない。 なんだか一所懸命で、可愛らしい。 先程言われた言葉をそのままお返しに思い付いたことが可笑しくて、ふっと笑ってしまった。怪訝な顔でまた覗き込まれる。 「それ、嘘だろ」 「まいったな、嘘に聞こえましたか?」 きちんと揃えた膝に手をついている。それを確認して、軽く苦笑している古泉を見る。 「俺には嘘に聞こえたが」 「満足していただけませんでしたか? もう一つ、理由がないこともないですよ」 「なんだ?」 そっちが本音かと、思わず身を乗り出しそうになったが、あえて聞き流す風を装って何気ない姿勢を保った。 「内緒話にかこつけて、あなたに近付きたいからです」 そうしていつもの通りにっこりと笑った。 流すように努めたのだが、勢い良く吹き出してしまった。それじゃあ、最初に感じた通りの理由じゃないか。何だかんだと大層な理由をくっつけたがるサービス精神は賞賛に値する。だが結局は、元々感じていた気持ち悪い理由そのままを吐いて、機嫌良さそうにしている。要は普段の古泉は、言うほど本来の姿と違っているわけではないのだろう。全く違う人間になるなんて到底無理な話だ。どうしても素が見えてくる。 真面目で可愛らしくて、少し意地が悪い。そして可能な範囲で、精一杯俺達に近付いているのだと。 「古泉」 「はい」 「今のは面白かった」 「光栄です」 やっぱり、近くに居る方が落ち着く。 壁際と部屋の中央とで距離をとられて、不本意ながら寂しいと感じていたのは認める。全くもって不本意だが、だからといって、 「うわっ、とぉっ!?」 「近寄って良いと言われましたので」 「近寄りすぎだ!」 抱きつくなボケ! end. |