何気なく見た雑誌の写真に惹かれた。 とある海外ニュースの一記事で、革命戦士と打たれた見出しの横に少年が写っていた。 自分よりも幼いような少年が戦場に立つ。カメラマンへ向ける笑顔は無邪気だった。でもその肩には銃がぶら下がっている。大きさも不釣り合いなAKと書かれていた。多分、銃の種類だが、そちらへの興味は出なかった。不釣り合いなのは、笑顔にくっついている瞳が奥深いことだった。 家の雑誌だからそのページを破いて丁寧におりたたみ、持ち歩くようになった。 学生の頃からずっと持っているので、手帳に挟んでいてもボロボロになってしまった。 何年これを見ただろう。まるでお守りのようだ。どこにも返しはしない、身代わり守りのようなもの。 ふと思い出しては手帳を入れた胸ポケットを押さえて祈る。 彼がどこかで生きていますように。習慣だった。 それが目の前に現れた。 営業途中、信号待ちで横断歩道の端に立った時、隣に並んで立ったのが彼だった。薄い色素の髪。印象的だった目は横顔でも見て取れる。 まさかと思いながらも、長年見続けた写真の人物を間違うはずがないと確信し、しかしありえない状況に自信が持てない。でも彼だ。おそらく彼なんだ。 身内でガンガンと流れていく血流が知らせる。ここで声を掛けないと一生後悔するだろうと。 「あの、すいません。○○国にいましたか?」 震えそうになる声で、少し見下ろして話しかける。少し見上げられた。この目、絶対そうだ。 「○○国?」 「いませんでしたか……?」 「勘違いでしょう」 信号が変わって人が動き出す。彼も振り返らずに渡って行ってしまった。呆気にとられて見送っていると歩道脇の花屋に入っていった。そういえばエプロンを着けていたから、あそこは彼の店か勤め先なんだろう。 少し安心した。否定はされたが、途切れたわけではない。 とりあえず仕事を終わらせてから行ってみることにした。 日が落ちて夜になっていたが、花屋はこうこうと明かりを灯していた。時刻は19時。店によれば閉まってしまうのではないかと、花屋なんぞに縁がない俺は慌てて駆け寄った。店頭には午前2時までと書いてある。営業時間の長さに驚いた。 中に入って彼を探すまでもなく、カウンターに立っていた。忙しない雰囲気でもなく、店内に入ってきた客を察して顔を上げ、俺に気付いて首を傾げた。見覚えはあるが確信が持てない様子。 「すいません、昼間信号の所で話しかけた者です」 「ああ、あの時の」 覚えてくれていたようだ。追い返す素振りでもない。変な話をしたのだから怪訝な反応を想定したが、そうでもなかった。これなら声を掛けた理由を聞いてもらえそうだと話し始めた。 長年持っている雑誌記事に写っているのが彼だと説明するのは簡単だったが、何故それを持っているのかがうまく伝えられなかった。 「大体わかった。いましたよ○○国」 やっと肯定を得た。無愛想な様子にうっすら笑うような口元が乗った。 「じゃあ、あれは当時のあなたなんですね?」 感激の勢いで食いかかる。 「多分。確か愛想のいいカメラマンがいた。俺は随分なついてたんです、その人に」 「日本人でしたっけ」 「ええ、言葉も通じやすいから余計に。戦場カメラマンは傭兵と寝食をともにする。仲は良いです」 傭兵という言葉がガツンと頭を殴っていった。 さらっととんでもないことを聞いた。 「傭兵……、だったんですか?」 「当時は違います。後に傭兵になりました。その時は子供で、大人の理念が分からないから、まだ仕事として戦う彼らの方が分かりやすくて、一緒にいました」 平和な日本だ。 本当に平和だ。誰からもこのような話を今まで聞いたことがない。ずっと憧れの存在でもあった彼が現れて、もちろん戦場にいた事を知っているのに日本にいるから、なぜか同じレベルでの会話を想像した。 それだけ、遠いようで身近な存在だった。 俺は本当に馬鹿だな。 口ごもっている俺を気遣って説明してくれた。 「傭兵は日本にも結構います。仕事で戦場へ行く。レポーターやカメラマンと同じ。そんな仕事もあるんです」 「あ……、少しびっくりして……。分かっていたはずなんですが」 「皆そうですから気にしないで」 ものすごく気を遣わせている……。 「軽率に声を掛けてしまって申し訳―――」 「いいんです、俺も興味あった」 あなたが普通の人でよかった、と言った。 最初は何かの情報を得ようとしている者かと思い警戒したが、見た感じ一般人で、問題行動があっても対処できると判断した。あまりに無防備なんで違うと思ってすぐに忘れることにした。また訪ねてくるとは思わなかった。 「何に興味が?」 「なぜ俺の写真をずっと持ってるんですか?」 そりゃそうだ。 失礼なことを言いはしないかと、それでも正直に言うしかなかった。世界が違う相手にどんな気の遣い方をすればいいのかなんて分からない。 学生の頃見た記事で、異様に惹かれてそれ以来持ち歩いている。同じ年頃の少年が戦場にいることはショックだった。祈る習慣のことも伝えた。 「じゃあ、今も持っている?」 「ボロボロなんですが」 「見せてくれますか?」 「へっ!?」 急に恥ずかしくなってきた。 手帳を取り出して、それを手にするのも少し手が震えた。緊張だ。まるで告白の緊張。確かに長年の片想いの相手が目の前で話してるようなもの。気持ちを吟味されるかのような緊張があった。 「……ボロボロだ」 「で、でしょう? もう写真も判別がつかない……」 顔が赤くなってきた。これを持ち歩いて時折祈る男。傍から見れば気持ち悪いだろう。ある種の信奉者で、そういうのは一般社会では浮く。 「これで俺の顔が分かったんですか?」 「も、もう覚えていて……」 恥ずかしい! 恥ずかしいぞこれは! 俺はなんていう状況にあるんだろう。事件も起こらず平和に生きてきた俺が例えられることなんて、アイドルの写真を友人にからかわれるのが嫌で隠していたら、本人に請求された。そんな感じだな。 紅潮しているのをしっかりと見られて、冷や汗まで出てきた。 少し楽しそうだ。 そうだろうな、変だよなこんなの。 「感謝します」 「は?」 「俺が生き残れたのは、きっとあなたのおかげだ」 真面目な目つきで期待を込めた笑みが俺を射す。 「いや! 俺は何もしてない、ただこう……、違う世界を見てしまってショック受けて―――」 「それで祈ってくれたのなら、俺が生きてるのはあなたのおかげだ」 そんなはずはない。戦場で生き残ることって自分の力だおそらく。俺が何かするわけじゃない。できるものか、どうなっても立ち位置が違うんだ。ただ、少し、生きていれば良いと思うことが、自分の支えでもあったというだけで。 「分からないかもしれませんが、俺たちのような人間は意外と信仰を大事にします。だから、祈りの力はすごいと信じている」 ずっと一人で戦っていると思っていたがあなたがいたのかと思ったら、納得できることが多いと、俺を見据えた。 呆然として何も言えなかった。 この人の人生は俺より確かだ。 ただフラフラと流れに乗って生きてきた自分とは、何もかも価値観が違うんだろう。信仰が大事というのは分からないでもない。本質は知らないけども。俺は記事を頼りにして辛い時に祈ってきた。どこかで他人を想えば自分が救われるような気分だった。単に自分のためだった。 それを今、本気で感謝されているのだ。なんと謝れば済むのか。 「か、勝手にしていたことで……」 「難しいですよね、本当に感謝している。それは駄目でしょうか」 ああ、そうか。気持ちは彼の方にもあるんだから、それはそうなんだ、受け止めないといけない。俺だけの話じゃないんだ。 「こちらこそ、救われていました……」 言って何故か涙が出た。数あることを乗り越えてこられたのは確かに彼のおかげだ。 こんな薄っぺらい人生でもそれなりにあって翻弄された。 俺が与えたことで彼が生きられたなんてのは、それらを凌駕する重み。 実感がする。 支えたことと支えられたこと。 会ってもいない、話したこともなかった他人同士が、これほどに繋がっていられるのかと人間の可能性が怖くもなった。そして素晴らしいと思わされた。 彼があの目で見つめている。 「お願いします、友人になってもらえませんか」 「もったいない」 「こちらからすれば、あなたは信じがたいことをやってのけた。俺にこそもったいない。でも、どうやらあなたが必要だ」 泣きながら思わず吹いてしまった。 「まるで、プロポーズだ……」 「いけませんか?」 断れないからやめてくれ。 end. |