■『While there's life, there's hope.』について設定などいろいろ 
思い出しつつ書きます。
小説『While there's life, there's hope.』別窓リンク(パラレル・青手・傭兵だった話)

坂本龍一と中谷美紀の『MIND CIRCUS』。歌謡名曲集を聴いてた時にがっと浮かんだ話でした。
「君の誇りを汚すものから君を守っていたい」
「偽りだらけのこの世界で 愛をまだ信じてる」
「少年らしさは傷口だけど 君のナイフ」
などなど、全篇にわたってイメージがあります。

まんま持ってきたのは、
「君はあの日LIFEのページから少女に 微笑んだREVOLUTION SOLDIER」
これを手嶋は切り取ってずっと持ち歩いていました。


書いた当時、全くキャラの口調が分からなくなって、アンドロイド書けないなと思っていた時でして、そこで突然浮かんだこれは全くの他人同士だから敬語でいけると思い、書き始めたらどんどんと設定がついていった。

青八木は小さい頃に父の仕事の都合で家族で海外に移住しました。移民として、というか、まあ日本人じゃなくなった設定をしたはずです。もうここに骨を埋めるつもりで家族揃って、ですので内乱が起こった時に日本政府に助けを求められなかった、元日本人。

両親は落ち込み、夫婦喧嘩も絶えず、しかし移住に同意したのも事実なので、仕方なく国民として革命主義に染まることになります。その子供はじめは両親が、例えれば何か新興宗教にはまってしまった違和感を抱きます。仕方なくとった選択である以上、子から見ればそれが正解には見えないのです。洗脳されないだけの意志の強さも出したかった。

それで親をあまり頼りにせず、真実も分からずに、周囲の同級生たちは戦闘に参加していく。自分もそうするしかない、親が戦う決意を持っているし状況的に断れるものではなくなった。

ただ参加はしていてもできるだけ守られる位置にはいました。戦場カメラマン田所が同行する、後方で参加することに。自宅に帰れもします。

私はこういったことに詳しくはないので、本当に適当なんですけども…。

青八木は田所を慕いました。戦う大人たちが持ってる主義のようなものは理解しがたい。それで傭兵チームに可愛がられ、青八木もどちらかというと、戦うために戦ってる方が分かりやすかった。田所は人当たりよく、日本人だから日本語で話せもするのは、安らぎに近いものでした。


田所についての設定もあります。記事内容には言及しないタイプでして、現地の人間との交流がメインでその生活を撮ることが己の仕事です。特に子どもと戯れることは大事だと思っている。それが記事で無粋な「革命戦士」と書かれようと、田所は関与しない。そういう写真家。


市内戦闘はだんだんと収まり、その決着がどう着いたはわかりませんが、この経験から青八木は傭兵になりました。小柄な体躯を活かした森林での隠密行動が得意です。背後を突くタイプ。

森林での行動が多かったもので植物が身近なので、日本を拠点にするようになってから花屋になりました。これが深夜まで開いてるのは、繁華街の夜商売向けのお店だからです。開店前の装飾に関わります。この時点ではまだ傭兵業もやっています。いつか手嶋のために、戦わなくなります。

なぜお店をやらせたかって、ぱっと見てどこに行くかわかる格好として、エプロンでもつけてるだろう…と、横断歩道の場面を書いた時に、子供時代から傭兵を経て花屋までの設定が決まりました。髪型的にも真っ当に働ける場所があまり想像できなくて、個人商店ならと。

祈りが一応主題なんですが、これは原作で祈っててくれだったかセリフがあったため。