『けいちゃんが大好きだ』R18

 


 学校から帰ったらすぐにパソコンの電源をオンにする。起動と同時にスカイプという通話ツールが開き、リストには数人の友人の名前と共にあの人の名前。
 大抵はいつもオンライン。彼は暇な大学生で、昼からはほとんど講義がないらしい。詳しくは分からないけど、ネットにいる大学生は大体暇そうなのでそんなものなんだろう。

 彼のことを知ったのは、何となく見つけたウェブラジオのサイトで。ユーザーがラジオをウェブ配信できるので、色々マニアックな放送があるものの、特定のエンタメ番組はリスナーを多く集めている。
 ある日、好きなアニメのラジオがあったので聴いてみると、キャラクターの物真似をしていて、それがすごく似てたのでびっくりした。え、本人?違うの?嘘だろー!? なんて内心ひと騒ぎした。それから、だんだんとそのラジオにはまっていった。
 実際やれば面白いだろうと思って、できそうなキャラクターの声真似を練習して、ある日彼のラジオにスカイプで飛び込んだ。最初はとても緊張した。もう、自分が何を言ってるのかわからないほどに。あの、あの……とたどたどしく話すのに対して、あの人は優しく対応してくれた。通話を切ってから、放送に対応している掲示板でリスナーの反応を見るとおおむね好評で、優しく受け入れてもらえたのに安心して、実はちょっと泣いた。
 何よりも、彼と話せたことが嬉しくてたまらなかった。自分の中では憧れの有名人にも近い人だから、話したという事実に感動していた。
 以降、付き合いが始まり、短いやり取りを続けてだんだん親しくなった。ちょっとしたことで引っ込んでしまう俺を、彼はうまくなだめて、いつも楽しい世界へ連れていってくれる。あの人は俺の目標で、親しい友人で、先輩で。ネットでこんな友達ができて有頂天になり、毎日一緒に遊ぶようになっていた。



 立ち上がったスカイプのリストから、名前をクリックして窓を開き、発信ボタンを押す。たまに出ないからドキドキする。発信音が途切れると同時に、けいちゃん、あの人の声が聞こえた。
『おーす、おかえり』
「ただいまあ」
 もう最近は毎日これで始まる。授業が終わってすぐ帰宅、と同時に通話。そこからアニメの話をしたり放送内容の打ち合わせをしたり。そう、今では一緒にラジオをやっていて、放送の相方にしてもらっていた。高校生のわりに声が低い俺と、ちょっと高い声の彼とはコンビパターンがいくつかできるのでちょうどいいらしい。話もテンションも合うから良いって、よく褒めてもらっていた。
『今日はあれやるよー、シナリオ』
「サイトの?」
 アニメの場面をシナリオにして上げてくれているリスナーがいて、俺らは最近それを読むことが多かった。原作漫画のシチュエーションも追加されていて、アニメより熱い仕上がりになっている独自のシナリオもあり、やりがいがある。
『練習いる? 読んだ?』
「読んだけど練習したい」
『おっけーわかった、ちょっと待って』
 彼が該当のサイトを呼び出すのに、放送用のテキストファイルの一覧からアドレスをコピーしてくるという手間がある為、瞬時には呼び出せない。ということをこの間聞いた。何でブクマじゃないのと訊いたら、ラジオに関連したものは全部一つのテキストファイルに入れてるという答えが返ってきた。
 そんなものなんだと思って真似をしてみたけど、あまりにも使いづらくて止めてしまった。やり方は人それぞれなんだろう。
 一瞬の間ができて、気になっていたことが浮かんだ。
「あ、のさー」
『ん?』
「BLってやる?」
『あー、どうしたい?』
 いや、聞きたいのはあなたの意見で……。
「リク多いから」
『そこは考えなくていいよ、僕もちょっと苦手だし』
「苦手なんだ」
『んー、まあ』
 歯切れが悪いのは何だろう?
「俺も苦手だけど、リクエストは応えたほうが良いのかなって」
『そこは人の言うこと気にしないで、やりたいことやろうよ』
 それもそうだな、良いこと言うなあと納得して頷く。
「うん、わかった」
『こうちゃんは、何でも素直に聞いちゃうね』
 ちょっと笑われたのでむっときた。
「素直なのは悪いことじゃないんでしょ?」
 以前、彼に言われた。素直で良いって。
『良い子良い子。うし、サイト出したよ練習ー』
「あ、俺がまだだった」
 常にこうして可愛がられている。可愛がられているというと何だか気持ち悪いけど、事実そうだからなんとも言えない。それに意外とこういうのは心地よかった。
 実生活ではそこそこ背が高いせいで、こんな風に可愛がられることはない。見た目が細長いのに声が低いことで、気持ち悪いとまで言われたことがある。それはさすがに苛立ったけど、まさか良い子なんて可愛がってもらえることはないだろうと思っていたので、ちょっとむずがゆい。
 対する彼は、きっちり男性の声だが中音域から高音域。柔らかく話すので雰囲気は落ち着いてるし、テキパキ話してるのにうるさくない。それに優しいからファンも多いし、友達も多い。俺にも彼を介して友人になった人が何人かいるけど、それ以外にはあんまりいない。というか現状で手一杯。だからけいちゃんはすごいなあと思う。そしてそんなすごい人に可愛がってもらえてるのは有り難き幸せ。光栄です。
 共通の友人には、本当によくなついてるねとからかわれる。その通りだと思う。



 夕方から始めた放送は時間が大分押して、なかなか終われなかった。途中から二人で話してる気分になって、ラジオなのを忘れて、けいちゃん、と本名で呼びかけてしまった。それをいつまでもいじられて、リスナーも盛り上がってたからなかなか終われなかった。
 けいちゃんもそこからずっと俺のことをこうちゃんと呼んでいたので、妙な盛り上がりがあった。BLだとリスナーが騒がしかった。なんでそういうのがそんなに楽しいのかよく分からないけど、リスナーは好きなんだろうなあ。
『違うよ、みんながそういうの好きなわけじゃないよ』
「そうなの?」
 相変わらずBLにこだわっていたら、ちょっと怒られた。
『はっきり言うと、BLをやったら喜ぶ人はいるけど、聴かなくなる人も確実に出る』
「そうなんだ」
『そうだよ、今の段階ならどっちの人も聴いてくれるんだから』
「あ……、そっか」
『でしょ? 大事にしないと誰も聴いてくれなくなっちゃうよ』
 だから、歯切れが悪かったんだ。ちょっときついこと言わせちゃったなと反省した。どのリスナーも大事にしているけいちゃんがかっこいいなと思った。そして、誰も聴いてくれなくなるのは寂しいと言うけいちゃんが可愛いと思った。
 俺は、まだまだラジオのことはよく分かっていない。けいちゃんのことだって、分かってるようで分かっていない。けいちゃんはいつも0時になると慌てて落ちる。その理由を何となく訊けずにいる。
『じゃ、今日はこれでおやすみー』
「うん、おやすみ」
『なんかあったら、また明日ね』
「あーい、おつかれ」
 今日も23時50分。あっという間にオフラインになる。余韻もない。突然いなくなるけいちゃんには、いつも物足りなさを感じる。夜が寂しいなんて感じるようになったのは、けいちゃんと遊びだしてからだった。
 寂しくてさっさと寝るようになったので、むしろ良い傾向ではあったが。



「けいちゃん!」
『はい?』
「だ、大学決まった!」
『うえ? マジか』
「おう!」
『あのー……、あのさ』
「はい」
『まだ決まってなかったんですね?』
「はい、内緒でした」
『決まってないのに、あんなにラジオやってたんですね』
「すみませんでした」
『馬鹿! 先に言ってよ!』
 言えなかった。絶対怒られるから言えなかったけど、やっぱり今言っても怒られた。
 こういうところをちゃんとしてないと、けいちゃんは怒る。けいちゃんと遊び出したのはほぼ年末からで、推薦を終えた高校生がだらだらと遊んでる時期だったので、けいちゃんも俺の大学はとうに決まっていると思っていた。それを分かっていたので余計に言い出せなかったんだが、受かった報告はさすがにしたかった。黙っていられないぐらいには嬉しかったから。
『とりあえず、おめでと。頑張ったね』
「ありがと!」
『ラジオしながら遊びながら、よく受かったね』
「勉強はできるから」
『チッ……、思い上がるなよ、クソガキ?』
「へい」
『もう終わっちゃったなら言わないけどさー』
「えっ、なに?」
『いいよいいよ、頭良い子にひがんでるだけだから』
「えー……」
 ご褒美に、俺の好きなキャラの声真似で延々褒められた。声真似じゃなくても全然良かったんだけど、こういう時はなぜかちょっとけいちゃんはずれている。必要以上に俺を子供扱いしてるような気がする。
 どちらかといえば、けいちゃんの声で褒められる方が良かった。アニメは好きだけど、けいちゃんが好きだからラジオ聴いてたし一緒にラジオやってるし。どっちにしてもけいちゃんに褒められてるんだから良しとした。



 出会ってほぼ三ヶ月。すごい勢いで俺は、けいちゃんのことを好きになっている。この頃は、この気持ちが何なのか分かりたくてBLのサイトなんかを覗いていた。でもやっぱり、ちょっとBLはよく分からない。分からないなりに悩んでいると、余計に興味が高まってしまったので、けいちゃんにBLについて訊いてみた。
 けいちゃんに訊いてしまうのは、癖だ。習慣だ。あと、ちょっと気付いてくれるかなという期待も込めて。
『なんでそんなに知りたいの』
 呆れ声と盛大なため息が聞こえた。
「だって、なんか……、わからなすぎて」
『僕だって分かんないよ、何でこうちゃんがそんなに興味持ってるのかが』
「それは…そうですね」
『んー……。BLはちょっと変わった少女漫画なんだと思ってるけど』
「しょ、少女漫画?」
『多分そうだと思う。それで、ラジオでBLって言われるのは、僕らが仲良く喋ってるのが、そういう風に聴こえるから』
「喋ってるのがBL?」
『仲良しでいつも一緒にいて恋人同士みたいって思われるの』
「会ったこともないのに」
『変でしょ?』
「だから嫌いなの?」
『え、嫌いとかじゃないけど』
 うーんなんていうのかな、なんて珍しく口ごもっている。嫌いじゃないって言葉も意外だった。苦手って言うから嫌いなんだと思ってた。
「嫌いじゃないの?」
『誤解はしないでね、その……』
 しばらく沈黙した後、何か呟いたのが小さく聞こえた。
『そもそも、こうちゃんは何が知りたいの。BLアニメのこと? 同性愛のこと?』
 はっとした。そうだ、実際の同性愛の人を調べれば……。漫画や小説しか見てなかった。
「いや、あの、ちょっとやっぱり自分で調べてみる……」
 急に生々しい気がしてきたので、もう訊けなかった。



 その後、会ったことないって発言から互いの画像交換の提案があり、後で送信されてきた。
 正直に言う。想像以上にイケメンだった。線が細くて白くてきれい。なんで、こんなネットの片隅でラジオやってんのってぐらい。
 俺も画像を送ったので、けいちゃんからメッセージが飛んできた。
『可愛い! アタシ、惚れ直したワ!』
 年上になんだけど、馬鹿だこの人。あれを可愛いって言えるけいちゃんが可愛く思えた。



 同性愛については、かなり検索した。色々読んでみたけど、ややこしかった。よく出てくるDVDのジャケットは、見事にマッチョな兄貴同士もあれば、BLみたいなイケメンも。でもそれらが自分を興奮させることはなかった。凹む一方だったし、変な世界としか感じられなかった。
 ネットで見るから全てが飛び込んできて、情報過多で訳がわからなくなる。ただ、男同士での性行為については興味を引かれて、一所懸命調べてしまった。お尻の何が気持ちいいのか、特に男性に特化して言及されているサイトでは感心してしまった。男だから、気持ちいいのか。
 妙な性知識は増えたものの、少なくとも自分の感情に合致するものは拾えなかった。単になついているだけだ。大好きなけいちゃんに遊んでもらって尻尾を振っている。それだけじゃないか。



 何の話の流れだったか、ゲーセン行こうよと言われて、初めて会うことになった。さすがにちょっと意識していた手前、すぐには返事ができなかったけど、この機会を逃すと会えないかもしれないと焦って、待ち合わせを決めた。
『○○駅中央口前のマックに着いたら、電話して』
 一応顔写真は見てるものの、実際に会うとなると分からなくて、電話したあとにマックの前で挙動不審者になった。数分も経たないぐらいで、背中を叩かれて振り向いたら、ちょっと下の目線に見覚えのある顔があった。
「はじめまして、こうちゃん」
「あ、はじめ、まして」
「オフってしたことなかった?」
「ないです」
「堅苦しいなー」
 ヘッドホンを通してないけいちゃんの声はまたちょっと違っていて、気持ち良い声だった。しかも、画像ではなんかちょっとホスト寄りだと思ってたのに、実際会うとお坊ちゃんみたいな清潔感あふれる好青年だった。俺より背が低いのが可愛い印象で、それがまた良かった。
 笑顔がくしゃっとしていかにもイケメン。世の中にはこんな人いるんだな不公平だなって、定番の嫉妬心も出る。でもけいちゃんは俺の親友だから。すっごい良い人だから。みんな見ろ、かっこいいだろ。内心でちょっとだけ俺のモノ宣言した。
「けいちゃん、は、オフよくすんの?」
「いや、はじめて。ネットまだよく分かんないし」
「し?」
「怖いでしょ?」
 可愛い。怖いってのは分かるけど可愛い。
「怖いの?」
「怖いよ。だから、まだ誰にも会ったことない」
 意外だった。あんなにあっさり会う話をしたもんだから、オフ会とかよく出てるんだと思ってた。しかも俺を初心者扱いしたくせに、自分も初心者とか平気で言う。まあいつもこんなんだけど。こんな風に可愛がられてるけど。
 とりあえず飲み物だけ買ってマックの二階で喋って、それからゲーセンに行った。自分が行くようなゲーセンとは違って、格ゲーの大会をやるようなところでちょっと狭くて暗い感じだった。
 細い俺から言われたくないだろうけど、けいちゃんは華奢だった。すらっとしてるけども、どこか頼りない。腕が長いのが、余計にそんな風に感じさせるのかもしれない。俺とは違う意味で細かった。なんか、こんなきれいな人が、こういうゲーセンに入って良いのかと思うぐらいだったけど、やっぱりけいちゃんにはゲーセン友達がいて、俺もその人達と仲良くなった。ノリが良くて楽しかった。
 けいちゃんは最初はじめましてって言ったけど、こんなはじめましてがあるとは思わなかった。すごく知ってる人なのに、はじめまして。もうめっちゃ仲良くゲームしてきゃっきゃしてるのに、はじめまして。
 楽しくて時間があっという間で、定食屋さんで晩飯おごってもらってる時は自分でも異様にテンションが上がってたのがわかった。一口食べたら止まらなかった。あ、お腹空いてたんだなって、その時に気付いた。
 家に帰ってパソコンをつけたら、けいちゃんは、〈相方と初めて会ってきたよ〉ってラジオをやってた。するって聞いてたけど、早い。恥ずかしいから聞けなかったら、後で『待ってたのにー』って責められた。
 いつのまにかネット上で俺は、渋くてかっこいい人、というイメージになっていた。けいちゃん、全然違うこと言ったな。馬鹿。
『だって、ネットは怖いからね。隠しておかなきゃ』



 一週間ぐらい、特に何も変わりはなく過ごしてたつもりだった。会って気分がすっきりしたこともあったし、ゲーセン楽しかったなと思い返してはぼーっとするぐらいで、何もおかしなことは無いと思っていた。
『最近、なんかあった?』
「え、特に何もないよ」
『元気ないよ、大学受かって気が抜けたのかな?』
「元気ない?」
『ないよ。会ってイメージ変わった?』
「変わ……、良い方に変わった」
『じゃあ、なんで変なの』
「変かな? あのさ、BLってさ」
『またBL?』
「あのキャラとあのキャラがね、どうしてBLなのかなって」
『知らんがなっ!』
 向こうでけいちゃんが爆笑している。
 いいな、けいちゃんの笑い声ってすかっとしてて好きだな。けたけた笑ってて、こもらないんだ。うくくって堪えてるのも良い声。
 ひいひい苦しそうになりながらけいちゃんは、会話しようとしてはまた笑い出していた。
『こうちゃんはいつから、そんなに……、BLにはまって』
「だって。××でも俺のやってるのとけいちゃんがやってるのとがBLあんでしょ?」
『あるけど、あれはそのー、幼馴染だから?』
「幼馴染なだけでBL?」
『長い付き合いの理由とか絆…がさ、そう見えるんだよきっと。それは分からなくもないけど』
「分かるの」
『んー、それぐらいだったら分かるわ』
「じゃさ、短い付き合いだったら無しなの?」
 付き合いが長くないと恋人同士にはならないのか。いや、そんなことはない。自分達の付き合いが短いから、訊いてしまった。癖で。
『それでも、あるのはあるんじゃないの? 仲が良かったら』
 よかった、仲は良い。ていうか、何で俺はいちいちまた自分達をあてはめているのか。
「基準がわからない……」
 何を訊いてたかを忘れたくて、わからない方に逃げた。
『こうちゃん、BLにはまったの? いや、まだはまってないのか』
「はまってないけど興味ある」
『じゃあ、BLシナリオやってみる? サイトの別館にあるけど』
 自分から流れを持っていったくせに、ぎくっと体の中で鳴った気がした。こんな時本当に漫画みたいにぎくってなるんだなと感心した。
『そんな構えないで。いっぺん演じてみたら、有りか無しか自分で決められるでしょ?』
「え、演、じるのと、見るのとは違うし」
『こうちゃんがこだわるの見てたら、僕は聞きたくなっちゃったなー』
「今?」
『だめ?』
「だ、だめじゃないけど……」
 気を落ち着かせるために大きく息を吐いた。
『んじゃあ、これ、このアドレス』
「うん、読む」
 メッセージ送信されてきたアドレスを開くと、ホスト物の先輩と後輩というオリジナルのシナリオが出てきた。男性二名・BL・Hシーン有り・後輩×先輩。用語程度は理解している。5分程度ですと注意書きがしてあって、短いと安心したら最初から濡れ場になっている。
「けいちゃん、無理。やめようよ」
『え、え、なんで?』
「なんでって、これほとんど喘ぎじゃん」
『僕がやるけど、きもい?』
「きもく、ないけど……」
『やめようよとか言って、本当にやりたくない時は黙るくせに』
「う。……やりましょう」
『僕が先輩ね』
 妙にウキウキした感じになってるのは、どういうこと?

 場面、閉店後の店内。珍しく酔い潰れた先輩を後輩が介抱している。
「全く、こんなになるまで呑むなって言ったの誰でしたっけ?」
『う、るさい』
「僕が呑みすぎた時に散々言ってたくせに」
『うっ……』
「気分悪いですか?」
『ちが…。そこ、触らないで』
「どこって?」
『ん…、下触らないで…ぇ』
 やばい。けいちゃんやばい。耳元でけいちゃんの喘ぎが聞こえるのは、恥ずかしいし落ち着かない。一瞬、間が空きすぎたがすぐ次の台詞で埋めた。
「ここは、嫌ですか? こんなにきつそうにして」
『あっ』
「本当に嫌なんですか?」
『んっ…う……、は』
 うわー、ため息がやらしい。やらしくて怖い。
「苦しそうですね。シャツもボタン開けますよ。汗かいてるから」
『や、だ』
「ああ、やっぱり。きれいな肌ですね」
『くぁ…胸、やめて』
「どうして? 気持ちよくないですか? ここを」
 今度は言いかけて間が空いてしまった。ちょっと、想像してしまった。
「ここを、つまんで転がすのは」
『ぅ…あっ』
「先輩、全然抵抗しないんですね。襲われるのは好きなんですか?」
『んなわけ、なっ…あ』
 あ、リップ音ってキス? 口元でそれっぽい音を出してみた。
『ふぁ』
 けいちゃんの反応のタイミングがすごい。そうか、同時に喋ってもおかしくないんだ。
「先輩の乳首、おいしい…」
『やっ、なに言って』
 舐めながらって、手の甲使えばいいか。じゅるっと舐める感覚が、自分でぞくっと来た。
『うぁっ』
「あぁ、硬くとがって、下もピクピクしてますね」
『ふ…ぅ、やだ直接は、あっ!』
「もう脱がしてしまいました。先輩……、可愛いです」
『か、かわいいとか』
「ええ、可愛いですよ。こんな風に俺の下で、肌をさらして……」
 リップ音は、これは、首にかな? 勝手に補完してもいいかな。
「首筋が、きれいです、先輩……」
 アドリブってみた。
『は…、んん…』
「耳も、頂いていいですか?」
『み、耳は、よわ……んぅ』
 しまった。アドリブって見失ってしまった。えっと、後輩が先輩好き好きで、先輩は押しに弱そうな感じだから……。とりあえず耳舐めてるんだった。舌先、か?
「ん…、気持ち、いいですか?」
『やっ、ちか』
「ん?」
『ちかくで、しゃべ、んな』
「感じてるんですか?」
『マジ、感じ、るっ』
 は?
 え?
 けいちゃん?
「けいちゃんっ!?」
『だ、ちょまて…っ』
「えっ、ごめん」
『…っ、謝る、のはこっち』
 突然通話が切れて、代わりにメッセージが送信されてきた。
『ごめんなさい。
 あんまり良い声すぎて途中から変になった。』
 チャット窓を開けて返信する。
「変になった!?
 俺がアドリブしたせいだったらごめん」
『アドリブはよかった。
 こうちゃんは悪くない。キモくてごめ』
「キモくないし」
『ごめん、ほんっとごめん。
 こんなんなるとは思わなかった』
「BLやめとこーか?」
 けいちゃんが謝り倒してるのが何だか申し訳なくて、もうこだわるのはやめようと思った。提案の後二分ぐらい空いたからドキドキが止まらなかった。
『すげー良い声だった』
 唐突に褒められた。やめるのかどうかが気になるんだけど……。
 でも、けいちゃんが俺の声で感じてた。声で感じることってできるんだ。
「俺も興奮した
 けいちゃんの声」
『えーほんとにー』
「ほんと」
 興奮したのは本当だし、色っぽくてやばかった。
『男だよ?
 キモくない?』
「キモいとかない」
『触ってたって言ったらキモい?』
 触ってた?
「どこを?」
『体を』
 体のどこですか。
「気持ちよかったの?」
『どうなったと思う?』
「わからん」
『聞かせてあげよっか?w』
「まじで俺の声に感じたの?」
『嫌だよね』
「嫌じゃないと思うけど
 びっくりしてる」
 何だか、けいちゃんの悪ノリ体質がうつったかもしれない。この先を続けたい。このまま、けいちゃんと俺で。
「俺も聞かせてあげよっか?w」なんて送信してしまった。
 長いような一分間を味わって、着信音が聞こえた。
 通話にすると、けいちゃんらしからぬ沈黙と微かなため息。
 ささやくように、けいちゃんが言った。
『……悪いことしよっか』
 この間会ったけいちゃんが頭の中で、シャツをはだけた姿で立っていた。男の人に勃つとは思わなかった。生々しいDVDのジャケットとはまた違う。けいちゃんはきれいで艶っぽい。



 さすがにこういうのは初めてだって、けいちゃんが言った。
 こうちゃんはずっと良い声だとは思ってたけど、エロいこと言ったりするとすごいって、これは褒めてるんだろうけど複雑な気分になる褒め言葉を頂いた。
「けいちゃん」
『ん…』
「今どこ触ってるの? 教えて」
『あ。……胸、乳首、触ってる』
「ころがしたりする?」
『ん』
「して」
『う…んぅ』
「かわいい……」
『もう……』
「もっと聞かせて」
『は、こうちゃん、も触って』
「どうしたらいい?」
『パンツずらして、出して』
「う…、うん」
『ね、もうちょっとボリュームあがる?』
「え、でも」
『ん?』
「変な声出そうだし」
 すげえ恥ずかしい。言ってることがもう恥ずかしい。
『聞かせてくれないの?』
 でも、けいちゃんが甘えてくる。俺、求められてる……。
「…けいちゃんが平気なんなら」
『平気どころか大歓迎なんだけど』
「…大歓迎なんだ?」
『じゃなきゃ、しようなんて言わない』
 うわあ。本当に。悪い人だ。
「う、ん」
『僕も、興奮してるよ』
「うん」
『それ、にぎって』
「ん…けいちゃんは?」
『え、あ…』
「ね、どうしてるの?」
『ちくびさわってる』
「気持ち、いい?」
『ん…、いい、下もさわる』
「生でさわって」
『う、ん……っ』
 うわ…、えろい…。
『……引く?』
「いや、エロくていい」
『そ…、声、あ…』
「声?」
『声で感じる…なにこれえっ』
 けいちゃん、またそれ、そんなこと言われると、あの日のけいちゃんの顔がよぎって。
「うそまじで?」
『まじ…んんー』
「もっと、ねえけいちゃん、もっと声だして」
『えー、あ…い、気持ちぃ』
「…っん、けいちゃんどこがいい?」
 俺も手がだんだんと大胆に動くようになって没頭してきた。
『ふ、これ、先っぽが……あ、じんじんくる』
「さわりたい……」
『んんっ、こうちゃんも、もっとこすって』
「うん、んっ、してる、あ」
『は…、いい声、だね…ほんと』
「なっなんて言ったらいいか、わかん、ない」
 次第に息遣いや喘ぎ声だけになってきて、もう会話なんかしてなかった。俺はけいちゃんの声で抜いたんだと思うと、すごいことをしてしまった罪悪感に襲われた。嬉しいことのはずなのに何故か、とても悪いことを二人でした気になった。だってまだ告白もしてない。
『すごい秘密できちゃったね』ってけいちゃんが、恥ずかしいからと言ってすぐ消えた。



 秘密の後に話すのは緊張した。秘密?何のこと? なんて言いそうな人だから。それはどうか言われませんように、と祈る気持ちで発信ボタンを押した。けいちゃんはすぐに出てくれた。
『よぉ、エロガキ』
 一言目に照れ隠しかひどいことを言われた。

『ラジオしなきゃよかったね』
 何だか少し不貞腐れてるような声してる。
「そんなことない」
『変な性癖ついちゃったら僕の責任だもん』
「せ……、けいちゃんのせいじゃないもん」
 急に可笑しくなって吹き出した。
『え、なに? なんで?』
 俺が笑い出したもんだから、けいちゃんが困惑している。
 何でこんなことになったんだっけ。そうだ、俺が元気ないってけいちゃんが心配して、俺がBLの話をして。ラジオしなきゃよかったねって。そうしたらBLで悩むこともなかっただろうってことだ。
 確かに、BLなんてけいちゃんに会ってなかったら関心もない世界だ。でも、それじゃ何もない世界だ。けいちゃんがいるから楽しいし、BLに悩む。ラジオしなきゃよかったなんて言われて、捨てられそうになるなんて怖い。なかった世界を勧められるのは嫌だった。
 今の俺は、けいちゃん無しでは無理だ。
 唐突に、やはりこれは恋愛感情なんだと思った。それで可笑しくなった。
「俺ね、俺ね」
 もう嘘じゃないのが分かったから言う。よかった、恋愛感情だった。
『どしたの?』
「俺ね、けいちゃんを好きみたい」
『え』
「けいちゃん無しじゃやだ。死ぬ」
 吹き出した勢いで笑いながら言ったから本気にされないだろうってのは、甘かった。
 けいちゃんが黙ってしまった。
 そりゃそうだ。あれだけBLBL言って様子がおかしくて、告白されたら……、このことで様子がおかしかったのが丸分かりだろう。沈黙で頭がさっと冷めた。
 笑って流して欲しかったのは、BLのノリみたいに、軽くやりとりする程度の甘さが良かったから、深刻に取られたくなかった。けど、けいちゃんはやっぱり大人だった。
「俺、変だね」
『あ、や、びっくりしただけで変って思ってないから』
「うん、ごめんね。駄目だ」
『駄目じゃない、駄目じゃないから』
 けいちゃんは優しいから、片端からなぐさめてくれる。でも俺は、自分で言ったことの重さが分からなくて、もう軽いのか重いのかも分からなくて落ち込んでしまったから、今なぐさめられても素直に聞けなかった。
「ごめん、変だから頭冷やしてくる」
『こうちゃんは、』
 途中で切ってしまった。即、着信が来たけどそのままスカイプを落とした。
「何やってんだ、俺」
 大学合格から少し経って、高校は行かなくて良い時期。今、まだお昼だった。そういえばけいちゃんは、大学どうしてるんだろう?
 ほぼ一日暇になってしまって、一日の比重がどれだけけいちゃんに傾いていたのかを思い知った。けいちゃんも、どれだけ俺に付き合ってくれていたのか、授業がなくなって分かったけども、けいちゃんは一日中ネットにいる。
 大学がどういうところか、いまいち掴めてないけど、けいちゃんってもしかしてニートなんだろうか。まあ、それはこの際大きな問題じゃない。けいちゃんが何者だったとしても、俺はけいちゃんを好きになっただろうし、ニートなんなら俺はいつでもけいちゃんと遊べるし。
 まあ、
 これでけいちゃんが離れなければ、の話だ。どうしよう。



 手っ取り早く、謝ってみることにした。なかったことにはしたくなかった。なかったことにできれば簡単だろうが、そうはいかない。ラジオをやってて、発言は戻せないことはよく分かっている。こういうことは学べたなあと思う。
 何を謝るかって、けいちゃんがどう思うかを考えないで、思ったままに話してしまったことと、その後勝手に通話を切っちゃったこと。
 許してもらえれば、今まで通りに話したい。それだけだ。
 こういうことはシンプルであればこそ良いはずだ。
『無理だよ』
「無理ですか」
『うっすら感じてたけど、言われちゃったらもう』
「ですよねー……」
 涙が出てきた。やっぱり自分の考えは甘いんだなと、いまだに精神が子供なのが嫌になった。男に好きって言われて嬉しいわけがない。通話だって、本来ならもう繋がってない可能性もあるのに、疑いもしなかった。甘すぎる。何一つ冷静じゃない。
 BLラジオだって、甘いやりとりを妄想してちょっと憧れたけど、実際あれはお遊びの一つだし、演じる相手に信頼を置いても、恋人同士になるわけじゃない。俺のは恋人ごっこに本気になったようなもんだ。
 実際に受け入れられることはないだろうに、何故あんなに軽く考えたのか後悔した。
「終わり、ですよね……」
『そうじゃなくて、僕ね、同棲してるの』
「そっか、彼女もいたんだ……」
 ますます終わりだ。
『違う。彼氏』
「かっ、えっ?」
『0時で落ちるでしょ。彼氏が帰ってくんの。で、昼前に出かけんの』
「はあ」
 びっくりしすぎて頭がついていかない。
『でね、誰にも話してないけど僕は、養ってもらってるの』
「主婦みたい……」
『うん、主婦と一緒。だから結婚してるみたいな』
「そっか、旦那さんがいるようなもんだ」
『ようなじゃなくて、その通りなんだよ。自分でも最近は忘れてた……』
 大学生ってのは嘘で、大学を中退して今の彼氏の家に住むようになった。社会人の彼氏に養われている。それで二年暮らしてきた。倦怠期に入ったのか生活がつまらなくて、彼氏との関係もつまらなくてネットに入り浸るようになった。彼氏がいる間はネットはしてないから制限はされていないけど、多分ばれたらやばい。
 一気にけいちゃんの事情を聞いてしまった。
 ウェブラジオの友人は皆それぞれ事情がある。大体はごく普通の人たちだけど、厳しい家の人はこっそりやってるし、社会人だときちんと自分で制限をしている。学生は試験期間に息抜きと言って現れ、ニートが時間を問わず放送をし、夜勤の人がニート疑惑をかけられる。
 けいちゃんはごく普通の大学生で一人暮らしだと思っていた。大した事情もなくて、夜は早く落ちるからきちんと生活してる人なんだという程度にしか考えてなかった。ニート疑惑もあったけど。
 何者だろうが関係なく、きっと好きにはなった。だけど、まさか男が主婦だとは思わなかった。
「主婦じゃ、俺だめだ」不倫だし。
『うん、でも、僕は、勝手なこと言うけどこうちゃんにもうちょっと待ってもらいたい』
「待つ? 待ったら、どうなるの。終わりじゃなくなるの?」
『だから終わりじゃないよ。まず、こうちゃんにいっぱい謝らなくちゃ。彼氏のことを隠してたこととか』
「うん」
『偉そうにちゃんとしろしろってうるさかったこととか』
「それはよかったよ。おかげで通話切ったらすぐ眠れてたし、大学も受かった」
『ほんと、素直だなあ。こうちゃんのそういうところが好きだわ』
「本当のことだし」
 何だか話を逸らされている気がするけど、大事な話をしているのは確か。
『僕は何にもしてこれなかった。自分でやれたのはウェブラジオだけで、他は与えられることばっかりで、大学も中退しちゃって』
「けいちゃんは、すごいよ。尊敬してるよ」
 あんなに見も知らないリスナーを大事にしてる人が、すごくないわけない。
『すんなすんな。……あのね、今までごめんね。ちゃんとしてくる』
「どういうこと?」
『好きって言われて困ったの、正直。僕、何もできないって』
「うん」
『付き合ってって言われてもさ、僕がその人のことを好きだとしても今の状態じゃ動けないんだよ。彼氏と一緒だからね。断るにしても、彼氏がいるからってのは今の僕には理由にならない。もう彼氏は好きじゃないから』
「えっ?え?」
『付き合う気がない、と言やあ話は早いけど、そうじゃない場合、僕は今返事ができない』
 あれ、けいちゃんは何を言ってるの? 俺に都合の良いように聞こえるんだけど。
『ごめんね、勝手な都合で。僕は、こうちゃんのこと好きだよ。でも、今は返事出来ない』
 ああ、好きって。
『それに、こうちゃんは勢いで来ちゃったみたいだし、僕がここを出てネット繋ぐまで、落ち着いて考えてよ』
「え? ちょっと待って、なんて?」
『別れる。家を出る。OK?』
「OK…って駄目じゃん!」
『こうちゃんのせいじゃないよ。僕が色々面倒でそのままにしてたからいけない。分かる? 自分でもちゃんと言えてるか分かんないけど』
「うん、大体分かってるつもり……」
『僕が悪かった。彼氏がいるのに、こうちゃんを気に入ってたから。でね、僕がちゃんと一人暮らしして問題がなくなったら、その時に返事する。こうちゃんはそれまで考えて。本当に、本当に好きなのか』
「それ、嘘じゃないよ」
『でも、勘違いだってあるよ、きっと』
「勘違いとか言わないでよ」
『うん』
「今は、勘違いじゃない」
『ん、なるほど』けいちゃんが小声になった。
「前もさ、ラジオしなきゃよかったねとか言うし、今だって勘違いにしたがるし、どうして俺とけいちゃんがありえないような話すんの?」
 息を呑む音が聞こえた。
『……、それは。そうだね、僕が悪い。ごめん』
「今は勘違いじゃない」
『うん……。じゃあ、今はごめん、付き合えない』
「ん」
『あのね、これで……、今日でしばらくネットに上がらないから』
「えっ、ラジオは?」
『しない。休止のお知らせで今日これから僕だけでやって終わる』
「そんな、いいじゃん。やだよ」
『ちゃんとしてくるまで無しにする』
 ちゃんとしなきゃってけいちゃんが自分に言ったから、けいちゃんはネットから消えることになった。
 休止宣言の放送はすごい賑わいだった。俺はぼーっとラジオを聴いて、スカイプもオンラインではあったけど誰の通話も取らなかった。
 当然だけどけいちゃんは、詳しい事情説明をしなかった。ニート卒業してくると言って濁していた。まあ、間違ってはいない。でも、彼氏との関係を清算して、住むところも移して、仕事して生活できるようにして。当たり前の生活なんだろうけど、多分すごく大変。
 今、俺に発信している人は、事情を知りたい人だ。相方だから知ってるだろうって、掛けてくるわけだ。取っていちいち、ニートやめるって言ってたよって答えても、本人に直接訊かない人は納得しない。
 だから、俺は誰の着信も取らない。
 放送が終わったのは23時50分。唐突に、またねって感じで終わった。だから、うちに着信は来ない。それでも、何かあるんじゃないかと2時まで待っていたが、それっきりだった。



 放送は、相変わらずすごくてかっこよかった。放送のけいちゃんは、普段のけいちゃんとはちょっと違うけど、基本は一緒。いつも一緒に放送してたもんだから、久し振りにけいちゃんの放送を聞いた。明るくて、かっこよくて、ちょっと可愛い。最初の頃、超アイドル的な感じだったから、そりゃあもう緊張した。話してていいのかって思ってた。
 敬語が抜けた時は、なにこの可愛い喋り方って思った。しかも結構甘えん坊だった。一見わからないんだけど、甘えてこいよーって言いながら甘えてきた。毎日放送してる人は寂しがり屋だと思う。けいちゃんは本気で寂しがり屋だった。
 リスナーにBLって言われた時は、そりゃ僕は相方大好きだからねーって流してた。キモイって突っ込んで終わる流れだったんだけど、よく考えたらあれマジで言ってたかもしれない。いっつもこんなこと言ってるからBLって言われるんだねって言ってた。
 こうちゃんがいないとつまらない、とか。
 こうちゃんが来ないなら寝る、とか。
 こうちゃんは優しくて良い子だってよく言ってた。
 泊まりに行こうかなってよく言われた。放送中の話だからネタだと思った。
 けいちゃん、かなり最初から俺のこと好きって言ってくれてた。



 分からないけど、半分ぐらいは俺が悪いと思った。全部、気付かなくて。もしかして、どこかでため息を吐かせなかったか。



 2時まで待ってた間、そんなことばっかり浮かんできてた。正直、自分にイライラした。短絡的に好きとか言ってんじゃねーよ。完全にけいちゃんに踏み入って、生活を変えてしまった。リスナーも寂しいし、ラジオの仲間も寂しいし。
 知らないけど、けいちゃんの彼氏は、どんな人か知らないけど可哀想。
 僕が悪かったってけいちゃんは繰り返してた。色んなことに、謝り続けてた。
 俺が何もしなければ、けいちゃんはあのままだったのかな。また彼氏を少しずつ好きになって戻ったのかな。
 だから、俺を諭してたのかな。無いとは言えない。結構駄目な人だから。自分のことだけは上手に出来ないで我慢してるから、いつもネットにいて自分の気持ちを知らない振りして。何してたの、けいちゃん。
 けいちゃんは、本当に俺のこと好きかな? 考えるのはけいちゃんじゃないかな。けいちゃん自身が、錯覚かもしれない勘違いかもしれないって思うようにしてたから、なかなか受け入れてくれなかったんじゃないの?



 深夜、ベッドに入っても全然眠れなかった。気持ちは疲れてるのに、けいちゃんがどうしてるのかがずっと気になって眠れなかった。
 俺はしっかりしないと。けいちゃんがちゃんとするって言ったって、実はそこまで信用していない。尊敬はしてるけど、けいちゃんが完璧な人間とまでは思ってない。彼は、いよいよ駄目になったら逃げるし諦める。俺との関係なんてほとんどネットだけで、また繋ぎなおす必要なんてないんだから。いつだって逃げちゃえるんだ。
 どうしよう、けいちゃん。やだよ。また、けいちゃんは我慢するの?
 それで俺も、いなかったことになるの?
 けいちゃんはそんなことを繰り返していくの?

 俺とのことで変わるなんて確証は無かった。
 だって絶対厳しいよ。何にもしてないところから家を出て一人で暮らすなんて、家事なんかは慣れてるのかもしれないし、バイトだってしたことぐらいはありそうだけど、急に全部自分でなんて。
 俺にできることが何かないか?
 


 朝になって、けいちゃんの携帯にかけてみたら着信拒否されているらしかった。どうやっても繋がらない。外に出て公衆電話からかけても無駄だった。そっちも着信拒否にしてるらしい。決意の表れなのかもしれないけど、正直ネットどころか自分の前から姿を消してしまっているのが不安でたまらなくなった。
 信用できないとは言わないが、いや、やっぱり信じきれない。辛くなったらけいちゃんは、手の届かないところに行ってしまう。今だってそうだ。けいちゃんは今辛いと感じてるから、連絡が取れないのかもしれない。
 昼に、以前一緒に行ったゲーセンまで行った。ぱっと見回してみたけどけいちゃんはいない。事が起こっていれば、そんな気分にもならないだろう。でも、ここ以外にもう、けいちゃんと繋がる場所は知らなかった。しばらく店内と外を行き来して、前に知り合ったけいちゃんのゲーセン仲間を見つけた。
 恐る恐る声をかける。
「すいません、あの、俺のこと覚えてますか? 前にここで」
「あ、けーたのとこの子だ」覚えててくれた。
「よかった、俺、けいちゃんに連絡取りたいんです。携帯かけても出なくて」
 繋がる糸が見えた気がして、大きく息をついた。
「出ないの?」
「はい。かけてみてくれませんか? 他に知ってる人いなくて。あ、番号知ってますか?」
「いや、知らないけども、いいよ何か大変っぽいし。番号教えて」
 慌てて畳み掛けたのがよかったのか、快く承知してくれた。話しかけるまで何を言ったものか考えていなかったので、すんなり請け負ってくれて拍子抜けした。
 あいつ、友達少ないっぽいからねと彼は言った。けいちゃんはいつも街中を一人で歩いてて、ここに誰かを連れてきたのは俺が初めてだったらしく、ゲーセンの仲間内では意外だったそうだ。直接は言わないけど、皆少しは心配していたようだった。
 そんなに深い繋がりはないけれど、訳有りの人だなとは思っていたと。
 けいちゃんは、自分の魅力を分かってないし、人がこんなに自分を気にかけるとは思っていない。だから、自分の気持ちを殺して我慢してしまう。成り行き上独立なんてことになったけど、けいちゃんが一歩踏み出すつもりでいるなら、俺も手伝う。ちゃんとするまで待っててって言ってたけど、大変なことを手伝って悪いとは思わない。
「かかったよ」と小さな声と手振りで教えてくれた。
「けーた? 俺俺」
 オレオレ詐欺……。
「人から聞いたんだって、代わるわ」
 そのまま携帯がこっちに差し出された。持ち主は気にするなと言わんばかりに、手渡した後ゲーム台に向かった。
『もしもし?』
 昨日も聞いたのに、懐かしい気がした。
「けいちゃん、こういち」
『こうちゃん!?』
「電話出なかったから」
『それは、けじめつけとこうと思って……、心配させちゃったか。ごめん、紛らわしかった』
「いや、心配したけどいい。そこ出るって言ってたでしょ?」
『言ったけど、すぐには』
「俺と住んで」
『ええ?』
「俺、大学なったら一人暮らしだから、一緒に住んでください」
 部屋探しは先週済ませていた。ほとんど親任せにしたけど、家賃以外の生活費はバイトする予定で、親の管理下で自活することになっていた。下見した時、二人まで住めますと仲介の人が言って、母親が二人には狭いわと冗談っぽく笑っていた。
「お願い。俺に手伝わせて。絶対、大変だもの」
『でも、僕がちゃんとしないと』
「ちゃんとするように手伝うから」
『……すぐに次の男と住むとか、僕ってなんか悪女みたいだね』
「悪女だよ知ってるよ」
『あ……、言われた』
「そんなのいいの。けいちゃんは仕事して、俺は学校とバイト。対等でしょ?」
『こうちゃんの方が大変じゃない?』
「分からないけど、けいちゃんが居たら多分できる。けいちゃんだって一人じゃない方が多分頑張れる」
『わかんないよ?』
「俺が怒るから頑張って」
 けいちゃんが黙ってしまった。俺もあんまり偉そうに言ったので、言い過ぎかと思って少し黙った。
『こうちゃんて、急に大人になったね』
「いや……」勢いで物を言ってるのは分かってるので、恥ずかしかった。
『すごいな……』
「そんなことない、俺、けいちゃんが……、悪いけどけいちゃんが弱いの知ってるから、離れたら逃げられるって思ったんだ」
『そう、かもしれない』
「甘えんぼだし、一人は無理だろうから手伝えないかって思って、それで」
『一緒に住もうって? 僕にはすごく有り難い話だよ』
「できそう?」
『うん、やる。いつ行ったらいい?』
「来月の月末。引越しの時期ずらしたから」
『わかった』
「あと、携帯の拒否解除して」
『うん、しとく』
「一瞬、すごく悲しかった」
『ごめん』
「ゲーセンの人も、けいちゃんのこと心配してる」
『え、そうなの?』
「けいちゃん、皆はけいちゃんと繋がってるよ」
『ん?』
「一人でできることなんて、もうないよ。皆がいるし、俺もいるし、一人でなんてやらせないよ?」
 けいちゃんが泣いてしまった。でも今はそばに行けない。そこは今の彼氏の家だから。泣いてる人を外にも呼び出せないし、困った。

 いつも街を一人で歩いてて友達が少ないと思われている。今の彼氏は、けいちゃんと一緒に居ない。同じ所に住んでいても、全然だ。どうして、けいちゃんを離さないの。とっくに気持ちがないのに。そんなこと俺にだって分かるのに、けいちゃんはどうしてそのまま居たの。また好きになれるかと思った? 俺にでも分かるよ。こんなひどい話はない。
「悪くは言いたくないんだけど、そこの人って、ずっとけいちゃんを飼ってただけじゃないか」
 悔しい。
「俺達の方がよっぽど、けいちゃんのこと好きだよ。分かる?」
 余計に泣かせてどうするんだと思ったけど、伝えたいのに伝わらない感じがすごく嫌で、皆がどれだけけいちゃんを好きか、けいちゃんがどれだけ愛されたがっていたか、必死で訴えた。いつのまにか泣いて喚いてて、携帯を貸してくれた人に肩を抱えられながら座っていた。
 恥ずかしかった。けど、こんな恥ずかしいことも大事なことだから、仕方ない。気にしないでやりたいことをやろうと言ってたけいちゃんが浮かんだ。けいちゃんは知ってる。知ってるけど自分では気付かないんだ。
 通話が終わった後、あいつん家行かなくて大丈夫なのかと、何度も訊かれた。行きたいけど、けいちゃんは一人で家を出ないといけないから駄目だ。そこだけは手を出せない。
 ほら、こんなに心配されてるよ。こっちに来ればもう大丈夫だから、お願いだから、その巣箱から出てきてください。




 ゲーセンであんなに大げさな騒ぎを起こしたのに、けいちゃんはすんなり出てこれた。でもけいちゃんには、たっぷり褒められた。こうちゃんがあんな風にしなきゃ、僕は分からなかったかもしれないって。
「考えたつもりだったけど、やっぱり難しかった。あんな人だから、お別れしましょうって言ったらすぐ終わるような気がしてたんだけど、ちょっと揉めたな」
 放っておいたくせに、手放すのは嫌がったらしい。きれいで可愛い自分の奥さんと別れるのは、確かに嫌かもしれない。でも、何も構わずにずっと飼い殺しにしたのはあんただ。どれだけ愛情に飢えていたか。けいちゃんには俺が喚いたことで、なんとか伝えることができた。愛情がもっと欲しかった。あんたじゃ足りないし、もう好きにはなれないって、言ってきたらしい。お互いに、居ても居なくてもいい状態になっていて、それでどうして引き止めるのって。




 けいちゃんは、放っておけない。どこに行くかわからない。ふらふらと、呼ばれる方へ流れちゃうかもしれない。たまたま俺がけいちゃんの好意を受けてて、こっちからも好きになって。けいちゃんはその程度でこっちへ流れてきたんだから、怖い。本当にどうしようもない人だ。だから守りたいし、もっと信じてほしい。
 俺だけの力じゃどうしても足りないんだ。まだ学生で、頼りなさすぎる。この部屋だって親のおかげであって俺の家とは言えない。だから俺を信じてしっかり立ってくれないと、ふいにどっかに行っちゃいそうだから、せめて俺だけでも信じてほしい。



「けいちゃん、好き」「好き」
「なに?」
「いいから。聞いてるだけでいいから」
「そうなの?」
「うん、好き」
「うーん……」
「俺はけいちゃんが好き、大好き、愛してる」
 もうずっと言ってなきゃ気がすまない。

好き
ずっと一緒にいたい
大好き
愛してる

 真っ赤になって視線をそらしたまま、けいちゃんはじっと聞いている。椅子に浅く腰掛けているから、前から覆いかぶさって耳元で何度も繰り返した。
「も、もー、そんな言わないでよ……」
「やだ、好」
 言いかけたところに、けいちゃんが唇を重ねた。
 ねえ、分かって。信じて。底なしのけいちゃんは、これでも足りない。きっと。


 そんな辛い恋愛も、そう長くは続かなかった。すっかり落ち着いたけいちゃんは、いつも俺の隣で笑ってる。




end.











 

20100900