『同じ』双生児の日 習作

 


〈手嶋〉

双子でないのはもちろんのこと、それでも、もしも双子の兄弟がいたとしたらこうだったんじゃないかと相棒を見る。何もかも違うから一卵性ではないだろう、二卵性。まるで血が繋がってるみたいにお互いに、息を合わせて同じことができるようになったのは練習したからとはいえ初めて姿を見た時は、運命を感じて逸る気持ちで後を追った。

彼はきっと、何かだ。俺にとっての何かだと。

一番と聞いてやはりそうだと思った。勝手な感情だが、俺の勘は案外当たる。もう辞めようと渋々決めた自転車の世界は、こいつと共にまた目の前に現れた。偶然、いや必然だろうと思いたい。だから、もしかしてという勘は単に願望だったかもしれないが、渇望した一番を掲げる男が、そこに立っている。驚きと感動で、どんな顔をすればいいか分からなくなった。この一致は、もはや必然でしかない。

彼は同じ高みを目指す相棒で、俺にとってこれ以上ないほどの、欠けた部分を補う半身。だから、きっとどこかでは、同じように生まれたんじゃないかって時々夢想した。それは結びつきを強くするメソッドとして役立つから、苦笑して追い払うような妄想でもなかった。

俺が持ってないものを持っている。お前が持ってないものを俺が持っている。二人で合わせてより強くなれるのは、遠い昔どこかで分けた。

手を握りあわせると、隙間で熱が渦を巻く。
混ざりあって溶けあって浸透し、同じ、同じ二人になる。

離れていると少しの不安がある。元々欠けていた人生に慣れていたはずなのに、今は知ったから、二人で一段と強くなれることを知ってしまったから、それぞれ一人前に動いていたって、足りないことが不安を呼ぶ。共に進むのは、力。お互いにもっと力を得られること。

なあ、半身よ。
お前はどうだ?

いつか一緒だったと、感じたことはないだろうか?

訊けることは一生無いだろうけど。そうすることには、さすがに苦笑する。







〈青八木〉

期待は少しあった。ほんの少しだけ、自転車の話でもできたらいいと登った坂。部活に入ればきっと、同じ趣味の人はいるはずだと。登っている途中に、目が合った。少し照れた。自転車が珍しいのか、それとも同じに自転車に興味がある人か。

まさか後を追ってくるとは思わなかったから、どう対応したらいいのか迷った。自己紹介、何を言えばいいのかわからない。一番のいちだと、名乗った時点で何かおかしいことを言ってるのかもしれないと恥ずかしくなっていた。相手も一瞬黙った。だから、ああもう失敗したのかと。

でも違った。

俺は自分のことばかりで精一杯だった。何が正解か、友人になろうとしている人に何を話せばいいか、時々顔をじっと見て自分が間違っていないかどうか確認した。
でも優しかった。優しい笑顔を見せてくれた。もしも上の兄弟がいたなら、こうなんじゃないかと思うぐらい。兄のような気がしていたが、同じ年だから双子かと考えてみると、しっくりはくるもののまるで俺と彼は違う。

では、なんだろう。これが友人というものだろうか。与えてもらうばかりは違うような気がする。これは本当に友人かと、確認するのは勇気がいった。また一人になるにはもう、遅かったからだ。あの覚悟は今もじんわりと思い出す。そして、馬鹿なことを訊いたものだと可笑しく思うこともできる。

彼と俺は友人だし、相棒とまで言ってもらえるようになった。相棒と親友と友人は、どれほど違いがあるものか。俺にとってはどれも同じ。重さがよくわからない。だが、最上級に大事なのは彼だと思う。

仲間やパートナー、共に事をする者と辞書には書いてある。多分ただの友人ではないし、そして仲間以上に彼が一番なのなら、もっと相棒よりも親しい何か。俺にとっての何か。

なんだろう。

兄でもない、友人でもない。親友や相棒、それ以上の関係はなんだろうか。こんなに違うのに同じだと感じる、技術も感情も共有できる。どこかで同一と感じるならば、本当に馬鹿な妄想だと思いはするが、どちらかがどちらかを宿して産んだ、血を分けた母子。

母と思うと、妙に可笑しかった。そんなわけはない。でももしかして違う世界では、俺は産んだのかもしれないし、産んでもらったのかもしれない。互いに宿したと思うと、変に納得がある。

この思慕は、おそらく愛に近いから。














 

20171213