「目を閉じて、少しうつむいて、力を抜く……」 椅子に座った青八木が、背もたれは使わずに両膝に軽く手を置いて、少しだけ頭を下げた。 何をしているかというと、自己暗示のための予備催眠を施している。本格的にやったらまずいことだけど、瞑想のようなリラックスを導く程度に言葉をかける。 「口も閉じて、ゆっくり、深く呼吸して……、ゆっくり、静かに……三回繰り返す」 吐き出す息の音が微かに聞こえた。 二人で勉強したあと、帰る前にこれをして、家でリラックス効果を試してもらおうと思ってやってるんだが、もう大分遅い時間だから外も静かで、うちも一階の物音はほとんど聞こえないもんだから、しんと静まった中で呼吸が聞こえる。意識すると俺のほうが掛かってしまいそうだ。 「三回、終わったら暗いところを頭の中で見て……。よく見ると遠くに光る点が見える」 軽く頷いた。 「そう、そのまま喋らない。その光は、自分を導く優しい光……、近づいてくる、こっちからも近づこう」 距離が縮まる。光は大きくなる。その光の中に溶けるように、入ると穏やかであたたかい場所がある。安心をくれるようで体もほぐれる。何の心配もない。思わず笑顔になる。 と、青八木が頭をガクンと下げた。あ、もしかしてまずい? かかっちまったか? 覗き込むと小さな口を微かに開いて、眠っているような顔してる。予備催眠だったのに、完全に掛かってしまった。あー、まずい。解くキーワード出してないのに。 「青八木?」 両肩つかんで揺らしても頭をぐらつかせるだけで起きない。もたれさせてちょっと考える。 素直すぎんだよなあ。まさかここでこんなに入ってしまうとは。まあでも、目覚めないってことはないんだよ。一眠りしてすっきり覚めることにはなるはずで、その場合、ここに一晩泊めることにはなるんだけど。 頭を一方の肩に寄せるように傾けている青八木。すうっと吐く息は安らいでいる。しょうがない、青八木んちに電話してこよう。 まいったなぁ……。 さすがに悪いからベッドに寝かせようか。あれから何度か揺らしたんだけど、起きねえんだ。 腕を取って自分の肩にまわし、腰の方から背中を支えつつ抱える。脱力しきってるもんだから膝が崩れて、椅子から滑り落ちるように下に座り込んでしまった。あー。 前に回って体を支え、ちょっと考えてから背負った。腿を持って、くの字に曲がったまま立つ。後ろのベッドに倒れこむようにして移動させた。ドサッと載せた時に振り返ったけど、やっぱり起きてない。どんだけだ。 ちゃんと寝姿に整えて、枕もしいて布団をかける。 眠ってる。正確には催眠状態だから、俺が何か言ったらその通りになってしまうんだよな。 いや、何もしねえし。それってさすがに。ちょっと人として……。 色々なことを考えてしまった。 できてしまうというのは、恐ろしい誘惑で、それを友人に試すのかって良心が問いかける。 「……青八木、聞こえる?」 頭がこちらに向くように振られた。横になっているから、頷こうとして首を振るようにした。本気で催眠にかかってる。 ベッドに肘をついて膝立ちで寄りかかったまま、一度顔を伏せてため息ついた。 こっち向いて眠っている顔が、案外きれいだったんだよ……。寝顔なんてそんなまじまじと見たことねえから、へえーって感心してしまって、ドキドキしたんだ。言ってないけどさ、惚れてるもんだからさあ。 頭をもたげてくるざわつく感情。悪いことだ、これは。やってはいけない、でも、これぐらいなら良いだろうか、いや、駄目だ。様々に候補があがる。 予備催眠から入った。解くキーワードを与えてない。つまり今の状態では、本当には解けないんだ。与えたものは刻まれてしまう。だから、洗脳するのと同じになってしまうんだ。 与えてはいけない。 そうだ、引き出すことなら良いだろう。それなら、俺だけの秘密にすればいい。って結構最低なことだし、俺がダメージ受ける場合もあるだろうが、いつも正直な奴だからそんな大して印象は変わらないだろうし、この状態、何かを試したくなるのはしょうがないだろ。 「質問するから答えて、喋っていい」 今度はうつむくように頭を振った。 なに訊こうか。 「今、楽しい?」 「わからない」 そうだよな。安らぎは与えたけど、楽しいこととかは出してないな。 「嬉しい?」 「ああ、嬉しい」 へえ、安心が嬉しいのか。安らぎと笑顔……、そうだな納得できる。 「……そこに何かある?」 「星がある」 星? なんだそれ? 「星は空にある?」 「隣」 はあ? ちょっと待て、これすげえぞ。これは青八木の心象世界だ。何か普段持っているイメージの世界。すげえ……、ドキドキする。人の中身が見えるようなこと……。 「星は、なに?」 「ひかり」 「それは青八木が入った光か?」 「そうだ」 「入ったのに、なぜ隣にあるんだ?」 「同じだから」 え、わかんねえ。 「知ってた光だったのか?」 「ああ、そうだ知ってた」 元々持ってるイメージだったのか。安らぎの光と共にいたのなら、予備催眠から入りやすかったのもわかるなあ。 「いつも隣にあるのか?」 「ああ、いつも居る」 居るって言い換えたぞ。存在なのか。 ……あれ? まさか。 近づいて導く優しい光。いやいや、自惚れ過ぎだよな。んな優しくねえし。安心を与えるとか、いやあ、俺じゃねえよ。馬鹿だな、俺は。 「居るのは……、誰?」 訊いちまった。これで別の奴だと落ち込むよなあ。親とかだったらいいけどさ、田所さんありえるしな。自惚れに恥ずかしくなってきた。 「手嶋」 うっわあー! めっっちゃくちゃ嬉しいんだけどぉ! ベッドの隣で身悶えてる自分が情けない。両肘抱えて何か言い出しそうになるのをぐっとこらえた。下唇噛んで声を押しとどめても、こみ上げる感激にうっと漏れ出そうだ。 こちらを向いてる顔は微かに笑んでいる。 嬉しい。言っちゃ駄目だ、言っちゃ駄目なんだけど頭を少し撫でて。 「好きだよ」 「……ああ、好きだ」 やっちまった……! これ刻まれるぞ。引き出したものとはいえ、ここで確認させては強く刻まれてしまう。でもこれを否定させたら、青八木は持っていた光を失ってしまう。良い方法が浮かばない。俺が刻んでしまった。 いや、でも、元々持っていたイメージに俺が居たのは確かなんだ。じゃあ、良いのか? 悪いことではないけども、変に印象づけてしまったんじゃないのか? これ以上何も言える言葉が見つからない。 嬉しいのと罪悪感がないまぜになって、諦めるしかなかった。 床に布団を敷いて、自分も寝ることにした。起きてまともに顔見れるだろうか。今後の関係も変わってしまうかもしれない。それは、俺が植えつけたという後悔をずっと引きずる関係になるだろう。 人の心なんか覗くもんじゃねえな。 まだ何も始まっていないのに、すでに失恋したかのような気分だ。 「起きろ」 体を揺すられて覚醒する。青八木だ。昨日のあれを思うと起きたくない。どんな顔すればいいんだか。知らぬ顔するのが当然なんだが、うまく取り繕えるだろうか。 「俺、覚えてる」 はっと目を開けた。すぐ上に顔がある。ちけえ。 「お、おはよ……」 「おはよう。俺、催眠かかってない」 少し赤面してる顔が、昨晩のやり取りを示していた。 「えっ、かかってたよ」 「完全には、なかった」 つまり、こうだ。予備催眠であることはずっと意識にあって、誘導には素直に従うが何をしているかの自覚はあったらしい。完全にかかるとその記憶は無いはずだった。 「じゃあ……」 「俺の本心だ」 見下ろしてる赤い顔を見ながら一瞬固まった。すぐに布団を引き上げて頭まで包まって転がる。 「あーっ!」 俺が告白してしまった。 恥ずかしくてたまらない。しかも、成立してるのが嬉しくてたまらない。 |